バーバラ・Y・マーティン 神秘家としての子ども時代

Barbara Y. Martin: Early Days as a Mystic

ディミトリ・モライティス

4歳の時のバーバラ・Y・マーティン

4歳の時のバーバラ・Y・マーティン

バーバラと長年ともに働いてきたなかで、彼女から若い頃の多様で変化に富んだ経験の話をよく聞かされました。早期の深遠な形而上学的な開眼、恐慌時代の苦労、多様な家族の変化は、のちにスピリチュアルな教師として引き出すことになる多くの重要な人生のレッスンを彼女に提供してくれました。

バーバラの形而上学への冒険は、オーラが見え始めた3歳の時に始まりました。当時は、それが何と呼ばれているのかわかりませんでしたが、彼女には、家族や友人だけでなく、動物や木や植物のまわりにも色やエネルギーが見えました。間もなく彼女は、彼女を訪ねてくる天使たちが見え始めました。天使たちは最初は彼女と意思疎通をしようとはしませんでしたが、彼女に自分たちがそこにいて彼女をサポートしているということを知らせたがっていました。徐々に、天使や他のスピリットの存在たちの訪問が増えていきました。小さなアテネ(バーバラは当時そう呼ばれていました)にはこういった初期の経験が何を意味し何に導こうとしていたかがわからなかったので、不思議でしかも謎に満ちていました。当時、彼女はスピリチュアルな教師になるということなど考えてもいませんでした。

彼女の家族は彼女の視覚がどうなっているのかわかりませんでした。病気の可能性を心配した両親は、彼女を医師に連れて行き、眼鏡をかけさせましたが、彼女はどこも悪くはありませんでした。

バーバラは大恐慌の時代に成長しました。ギリシャ正教の司祭の娘だったため、お金は大してなく、家族は常に引っ越しを繰り返しました。バーバラの父は司祭であっただけでなく技術者でもありました。 教区は教会を建てて会衆を組織するために彼をさまざまな場所に送りましたが、これは彼がとても得意とすることでした。バーバラは6人兄弟で、兄弟たちは彼女を愛していましたが、彼女の形而上学的な傾向は理解できませんでした。彼女は家族が大好きでしたが、彼らは彼女と同じ感受性は持っていなかったので、少し疎外感を感じていました。

彼女の透視能力は彼女をしょっちゅうトラブルに巻き込みました。叔母が家族の集まりに遅れたとき、小さなバーバラは、列車の事故で亡くなったから来るはずがないと口をすべらせてしまいました。彼女の両親は、彼女がそんな恐ろしいことを言うことを気味悪がりました。しかし翌日、両親は電報でその叔母が実際に列車の事故でなくなったという悲しい知らせを受け取りました。

彼女が4歳の時のもうひとつの出来事では、教会の礼拝の最後に、バーバラは司宰大主教の手にキスをするように言われました。大主教は堂々と威厳をたたえていましたが、バーバラは彼のオーラにグロテスクな色が見えたので近づくのを拒みました。母親が強要しようとすると、「嫌だ!彼は化け物よ!子供を食べるのよ!」と叫びました。バーバラにはどうしてこういったことが彼女に起こったのか、あるいはどのようにしてこういったことが分かったのかがわかりませんでした。それらは単に起こったのです。同じような出来事を何度も経験し、彼女は何が見えるか、どんな経験をしているかについて黙っていることを学びました。

10歳の時のバーバラ・Y・マーティン

10歳の時のバーバラ・Y・マーティン

バーバラは優秀な生徒で、結局、学校で2学年飛び級をしました。そうしたければ外交的になれましたが、注目の的になるのは好きではありませんでした。しかし教師たちは彼女を学校の劇の主役に選んだり、スピーチをさせたりしました。バーバラは最初は嫌がりましたが、こういった人前での経験は、のちの講演/教育の仕事の素晴らしい準備になっていたことがわかります。

バーバラが10歳の時に家族がミズーリ州のカンザス・シティ―に移り、彼女の人生が変化します。彼女は小さい時から文章を書くのが素晴らしく上手でした。家族は地方のラジオ局を持っている人と友人でした。バーバラは宗教的なラジオドラマを書き、そのラジオ局が演出をして放送していきました。これが彼女の演劇に関する興味を駆り立てました。彼女は、有名な演技の教師でディレクターのドロシー・ラモスが指導するグループに加わりました。ドロシーはバーバラの人生を変え、彼女の最初の形而上学の教師となりました。

Copyright 2013, Barbara Y. Martin and Dimitri Moraitis.Reprint from http://aurablog.org/2013/06/19/barbara-y-martin-early-days-as-a-mystic/
日本語訳Megumi 無断転載を禁ず