形而上学から見た聖書

The Metaphysical Bible

聖書には、最高のスピリチュアルな可能性に魂が到達するのを助けてくれるようにデザインされた、重要な秘教の原則が埋め込まれています。聖書は信仰の道具であることに加え、形而上学の視点から見た場合、覚醒へいたる道を記した地図として研究することができます。聖書研究は一生を要する仕事です。多くの人々が何百年もスピリチュアルでクリエイティブな努力を重ねてきた仕事の典型です。聖書が主に宗教のテキストとして書かれたのは事実ですが、スピリチュアルな教師で透視能力者としての私自身の研究では、聖書は私がずっと教えてきた形而上学の基礎を述べているために非常に重要です。これらの形而上学の原則は光界の教えとして知られており、聖書には収集されたこれらの教えの最初の記録が含まれています。「宗教と形而上学はうまくやれるのか」とよく尋ねられます。私の答えは完全にイエスです。正しく理解されるなら、宗教と形而上学は同じスピリチュアルなプロセスの異なる側面です。あなたのスピリチュアルな上昇において、両者はそれぞれの役割を果たします。スピリチュアルな教えの宗教的側面は、信仰と信念という主眼をとおして、向上心のある魂を永遠の真実に導きます。これは強い直観的な性質と同様に知性と理性に深く影響を与える積極的な信仰です。これらの鍵をとおして人はスピリチュアルな理解を打ち立て、スピリチュアルな道をはるか先まで歩いていきます。しかし、信仰はそれ自体にたどりつくことが目的ではありません。 信仰は最終的には知に道を譲らなければなりません。そしてここで形而上学が入ってきます。形而上学は私たちが覚醒と呼ぶプロセスをとおして、成長している魂が信仰と知の間の隙間に橋をかけるのを助けてくれます。覚醒をとおして魂は物質のベールを打ち破り、神を直接体験することができます。

聖書の核となる教えは神と直接接触できた英知を得た魂によって書かれたものの、何世紀もたつうちに調整されてきたと言わざるをえません。お伝えするのは悲しいことですが、他の霊感のない人たちの手が聖書に加えられてきました。ですからこれらの秘教的な教えを理解する上でのあなたの目標は、 あらゆる言葉を神のものとして理解しようとせずに、聖書に埋め込まれている神の宝石を探し出すことです

タナク(旧約聖書)と新約聖書の両方に流れている形而上学の統一的な原則があります。もちろんこれらの二つの書はまったく異なる時代に、まったく異なる状況のもとで書かれました。それでも、これらは二つの異なる世界の信仰を代表している一方、形而上学的には統合されたスピリチュアルな原則を表しています

タナクに置かれた神の教えの種子は新約聖書に根をはりました。そして私たちが皆楽しみにしている新しい時代は、この仕事の第三の局面をいずれ提示し、これらの教えの完全な開花となるでしょう。ですから聖書はまさに生きている教えで、進行中の仕事です。

どのスピリチュアルなテキストを読む時も、あなたがその読書から理解すべきことを神の聖なる光が照らすように頼んでください。こういった神聖な書物には、聖なる存在たちが、私たちが用いるべき豊かな情報や知識を与えてくれています。初期のヘブライ人の神秘家の最初期の原型となる教えから、初期のキリスト教の神秘的な先駆者たち、そして今日展開しているスピリチュアル・ルネサンスにいたるまで、聖書に示されているような光界の教えは、志のある魂に提供するものをたくさん持っています。神と神の聖なる光の近くにいるようにしてください。

神の聖なる光と愛のうちに
スピリチュアル・ディレクター
バーバラ・Y・マーティン

Copyright 2012, Barbara Y. Martin and Dimitri Moraitis.

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