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The Aura of Philanthropy

博愛はきわめて重要なものの、時には誤解されるスピリチュアルな原則です。この単語はギリシャ語で愛することを意味する”philos”と人類を漠然と表す”anthros”から来ています。博愛は、本質的に、人類を愛することを意味します。それは人類の幸福-世界が小さくなっているためにかつてないほど重要になったスピリチュアルな性質―を増やすための実践と努力です。

博愛は、なくてはならない繁栄のスピリチュアルな原則―管理―を利用します。管理は、あなたが神様の豊かさと供給の所有者ではなく、チャンネルだという認識です。あなたが自分自身の必要性のための豊かさをはっきり示すような繁栄の力を表現することを意図されているのと同じ方法で、あなたは他の人に対する繁栄の力をあなたを通してあふれさせるように意図されていますが、多くの場合それが神様がそういった人々に届く方法です。

オーラの中で、繁栄は鮮やかなターコイズの光として見えます。それはその人が豊かさの意識の中にあることを示唆します。しかし、私たちが寛大で博愛的だと、ハート・チャクラから発する美しい純白の光も生み出します。この白い光は私たちの魂とオーラに欠点を補い、上昇させる強力な性質をもたらします。ハート・チャクラまたはヘルメス・センターは、私たちの地上の出来事の中心で、魂の玉座なので、この神様の白い光は、光の中にもっと入り込む必要がある私たちの生活や魂の各部分を上昇させてくれます。

大半の人は、愛する人を気遣うことの重要性を認識しています。私たちは注意と寛大さを私たちが気遣う、身近な人に惜しみなく注ぎます。しかし、スピリチュアルなことを言えば、私たちは生まれついた家族の一員であるだけでなく、人類という家族に属しているので、私たちはそれぞれ人類それ自体を助けるカルマ的な義務があります。私たちは住んでいる町や群の住民であるだけでなく、世界の住民です。神様のきらめきは私たちすべての中にあります。私たちは世界をひとつにすることについて話していますが、私たちのすべてがお互いに仲良くしているわけではないものの、世界のすべての人々をひとつにするスピリチュアルなつながりがすでに存在しています。

あなたの時間、資源、奉仕について物惜しみしないでください。愛する人のためだけでなく、あなたの同情を誘う人たちのためにも使ってください。博愛は、あなたが従事するどんな活動とも同じくらい、生活の中で活発であるべきです。機会が生じたときだけでなく、他の人を助ける機会を探してください。私たち自身の葛藤の苦しみにあるとき、私たちは時として与えるものはほとんどないか何もないと感じたりしますが、もちろんこれは真実ではありません。神様の子どもとして、私たちはみな、世界に与えるものを何か持っています。それは私たちより偉大な何者かのための奉仕です。あなたが博愛のスピリチュアルな実践を表現するとき、あなたは人類という家族に貢献し、素晴らしい、奇跡的な方法で、自分のオーラと人生を祝福しているのです。

神様の光と愛のうちに

バーバラ・Y・マーティン

スピリチュアル・ディレクター

Reprint from Aurablog.org. Copyright 2011, Barbara Y. Martin and Dimitri Moraitis

http://aurablog.org/2008/08/29/the-aura-of-philanthropy/

日本語訳著作権Megumi 無断転載を禁ず

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