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Barbara Y. Martin Part 2: The Years of Spiritual Training

ディミトリ・モライティス

10代のバーバラ
10代のバーバラ

人々がバーバラのスピリチュアルな才能と、彼女がそれらの才能を見たところ簡単に表すのを経験するときに見えないものは、そういったスピリチュアルな才能を発達させるためには長年の訓練と開発が必要だったということです。

バーバラは、11歳の時に、彼女の人生を変えることになる女性と出会いました。彼女の家族はミズーリ州のカンザスシティに引っ越しました。そこで彼女はドロシー・ラ・モスによってによって率いられていた有名な演劇一座に加わりました。ある日、ドロシーは、彼女と個人的に対面して「あなたはオーラが見えます」と言いました。バーバラは自分が見ていたものがオーラと呼ばれていたことすら知りませんでした。この日から彼女の形而上学の分野におけるスピリチュアルな訓練が始まりました。ドロシーは秘教主義者で、オーラも見えました。母親と祖母から受け継いだ古い手書きの本を持っていました。これらの文書は、スピリチュアルな世界の多くの側面だけでなく、オーラを細部に至るまで描写していました。若いバーバラは、ドロシーのスタジオで彼女と一緒に何時間もスピリチュアルな才能について学び、形而上学の世界を発見しました。この新しい知識を身につけたことで、バーバラは彼女が見ているものを理解し、解釈することができました。

この経験の結果、彼女は、聖なる存在たちとの直接訓練を始めることになりました。天使や他の神聖な存在たちは、彼女を助け、祝福するためだけでなく、彼女に教えるためにもやってくるようになりました。こういった神聖な存在たちと交流することで、バーバラのスピリチュアルな力と才能は増加していきました。

このようにスピリチュアルな生活は進化していきましたが、彼女は自分が知っていることについて沈黙を保ちました。高校時代には、スピリチュアルな才能をわきに追いやって「普通の」生活をしようとしましたが、神には違う考えがありました。結局、彼女はスピリチュアルな生活は自分の一部だと気づきましたが、それでも、他の人に話すようなことではなく、個人的に探求するものとして考えていました。

19歳のときに、彼女は、レッド・スケルトン、モナ・フリーマン、スーザン・ヘイワードといった人たちを含む米国慰問協会のためにバラエティ・ショーをプロデュースしていました。しかし、スピリチュアルな召喚が彼女を誘い続けました。ある地点で、彼女は、エンターティメントは彼女の人生における宿命ではないと気がつきました。神は、彼女が形而上学の教師になることになっていると伝えました。バーバラは同意し、内的なスピリチュアルな訓練の期間が始まりました。彼女は直接体験として多くのスピリチュアルな生活の側面を見せられました。バーバラは深遠なスピリチュアルな視野を持つようになり、彼女を教育する素晴らしい神聖な存在たちがあちらの世界から訪問してくるようになりました。

その後、20代後半に、ロサンゼルスに住んでいるときに、彼女は有名な神秘主義者のアイネズ・ハート博士に会いました。アイネズは進化した魂で、講演活動はせずに、個人的なグループに教えていました。とても透視能力があり、スピリチュアルなヒエラルキーとの結びつきを発達させていました。

バーバラがスピリチュアルな才能を円熟させるのを助け、教育の過酷さへの準備を手伝ったのはアイネズでした。彼女はバーバラがいつか大衆の前でオーラについて話すだろうと伝えました。これは預言者的な言葉でした。なぜなら、当時は、オーラについてはほとんど何も知られていなかったからです。

バーバラはアイネズとともに何年も学び、一時期は一緒に住んでいたこともありました。アイネズとともに働く間に、形而上学について講演をするという機会が開き始めました。こういった機会が、結果的に、彼女の教育の仕事への門を開きました。

Copyright 2013, Barbara Y. Martin and Dimitri Moraitis.Reprint from
http://aurablog.org/2013/06/20/barbara-y-martin-part-2-the-years-of-spiritual-training/
日本語訳Megumi 無断転載を禁ず

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